野中兼山さんのおかげ
いつの間にか、近所に、こんな立て看板ができていた。「旧 通町(とおりちょう)」という題で、内容は、「城下町が作られたときは、武家屋敷があったが、のち武家に召し使われる中間(ちゅうげん)などが住むようになり、・・・1649年に野中兼山(のなかけんざん)により、町割が行われ、まっすぐな一筋の通りになったため、”通町”とあらためられた。」と書いてある。高知市内でも、道が入り組んでいる地域は、最近になって、都市計画で、新しい道ができ、どんどん街が変貌しつつあるが、このあたりは、昔から、碁盤の目のようにきちんと並んでいるため、通りは少し狭いものの、ほとんどそういった大きな変化はない。野中兼山さんのおかげだ。
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